※この記事はsakefan.net掲載記事(2018.02.13)の転載です。

今回は「九州のヘソ」山都(やまと)町にある蔵元「通潤酒造」をご紹介します。
実は以前仕事でお世話になった博多のお客様と「10年ぶりに忘年会」というお話をいただいて思い切って九州へ行くことにしたので「折角だからどこか蔵元に行こう」と思い、色々と調べてみました。今「地の米、人、水で醸す酒」とか「オーガニック酒米のお酒」に興味があります。先日、ご紹介した福島県郡山市の仁井田本家さんの「にいだしぜんしゅ」や岡山県倉敷市の菊池酒造さんの「奇跡のお酒」、兵庫県丹波市の山名酒造さんの「○△□シリーズ」がまさにそれなのですが、九州ではどこかないかなぁと調べていて通潤酒造にたどり着いたというわけです。
なお、今回の内容は昨年の12月にお伺いした時のものになります。レポートが遅くなりまして申し訳ありませんがご容赦ください。

なので杉玉がまだ緑でした!交換して1週間程度というお話でした。

通潤酒造 正面

九州のヘソは遠かった・・・

仁井田本家も郡山駅からバスで40分ほどかかります(しかも1日数本しかない)が、通潤酒造は熊本駅からバスで1時間半。でも本数は多いです。前日に熊本入りして朝一番のバスでいざ山都町へ!まずは凄い運転手さんとの出逢いから驚きが始まりました。山間に入ったあたりから乗客が私一人になり「こんなカーブが連続する山道をこんな速度でバスが走っていいのー」という感じでしたが、実際は適切な速度だった様です。慣れていない私がハードに感じて体が揺れまくるのに対し、途中で乗ってきた地元の人は普通に体を揺らさないでお隣さんとお話ししている!そして気付いたら周囲は「場所を見つけたら田んぼを作りました」と言うくらい狭いところも田んぼ、段差があったら棚田や田んぼがたくさんあるのです。そして集落だと思ったら到着でした。

通潤酒造へ向かう途中の棚田

まさに町の酒蔵

流石にバスで1時間半かかって行って、閉まっていたら寂しすぎるので事前に連絡していたので蔵の方が丁寧に対応してくださいました。この辺りは昔、矢部町と言われていたそうで、その頃から稲作が盛んな土地柄だったとの事。蔵元が兵庫から山田錦の種籾をもらってきて、熊本で初めて山田錦の栽培を始めたのもここでした。山間で1日の気温の差が大きく、山田錦の栽培には適している土地なのですね。山田錦の故郷であり名産地でもある兵庫県の吉川の辺りも内陸ですね。現在は生産者の高齢化に伴い山田錦を栽培する農家にも引退するところが増えて、純米大吟醸用の山田錦だけは町外から購入しているそうです。それ以外の山田錦、華錦(熊本県の新しい酒米!)、アキゲシキ(飯米ながら掛米で使用しているとの事)は全て町内産。蔵人も全員町民。最近はUターンでデザイナーさんが町に戻って来てラベルデザインも町民というまさに町の酒蔵でした。そして作ったお酒も半分以上は町内で消費されるという事です。地元に愛されているなぁと感じます。

<h3 class=”ttl”>有機栽培米のお酒は「平家伝説」</h3>
酒米造りは契約農家の方に加えてJAも協力してくれて酒米部会というものを作って情報交換をしながら行っているとの事です。最近の華錦の栽培でも先行した農家さんが後発の農家さんへ情報提供されてスムーズに広がってきているという素晴らしい取り組みがなされています。また有機栽培認証を取られているものは「平家伝説」という銘柄で有機栽培米の日本酒として提供されており、それ以外でも認証は取っていないが、ほとんど無農薬だったり減農薬だったりする農家さんが多いのもこの町の特徴の様です。2016年4月の熊本地震の時も農家の皆さんに「造れるのか」と聞かれ「造ります!」と答えると農家の皆さんも復興の最中、田植えをすぐに始めていただけたというお話も伺いました。農家と酒蔵の絆を感じるお話ですね。とは言え、現実は建物が倒壊しているところもあり、全壊した最も古い1792年に作られた蔵は今も復旧作業中です。この蔵は熊本で現存する一番古い蔵だそうです。そうすると現存する酒蔵としても1番古いのかと思いきや、2番目だそう。何だかちょっと残念ですが、それは仕方がないとして今も修理中の蔵や新しく出来た作業場での作業を拝見して、改めて震災の大きさを痛感しました。私自身も阪神淡路大震災の被災者ですが、あの時、撤去作業は早かった様に思います。山都町では修理作業ができる人の数が限られている事や山間である事もあり、なかなか作業が進まないというお話でした。そんな中でも今年も出来る限りのうまい酒を醸しておられます。

修復中の蔵(左上:熊本最古の蔵、右上:旧作業場(現貯蔵庫)、左下:仮新設作業場、右下:旧作業場外壁復旧中)

今年注目の蔵!?

ところで通潤酒造は、創業が明和7年(1770年)。今年は248年目です(ちなみに2020年は250年!キリが良い!)。江戸時代からあるので明治時代にももちろんあったということで、今年話題のあの人にもゆかりがあると伺いました。あの人とは「西郷隆盛」。明治10年の西南戦争の際に、多くの兵が集まって軍議が開けるところということで、町で一番大きな通潤酒造がその場所に選ばれそうです。母屋には西郷隆盛が宿泊されたとか。その母屋と庭は今もそのままで残っています(私が行ったときは地震の影響による修復作業のために足場が組まれていましたが)。この話は司馬遼太郎の本「翔ぶが如く」にも書かれているとのこと(不勉強でまだ読めておりません・・・)。「それは今年の大河ドラマで撮影場所になるんじゃないですか~」とお聞きしたところ、「なるといいんですけどね~」という回答。まだオファーは来ていない様です。それでも観光ガイドにも書かれており、今年注目の場所になるのではと私は睨んでいます。

その他にも色々と・・・

西郷さんはお酒にはなっていませんが、種田山頭火が蔵を訪れたことがありそのご縁で「山頭火」というお酒を醸しておられたり、大人気ゲーム「刀剣乱舞」に出てくる”蛍丸”という大太刀が近くの阿蘇神社に伝わる刀だったことから「蛍丸」という日本酒を醸しておられたりします。このゲーム私はこれまた不勉強で知らなかったのですが、刀を擬人化したキャラクターが出てくるゲームということで、中でも蛍丸は結構強いレアキャラとのこと。ネット通販でこのお酒を購入されるファンの方も結構おられるとか。ウィキペディアによると2015年に現在行方不明の蛍丸を復活させようというクラウドファンディングのプロジェクトに6日で3000万円以上が集まる人気ぶりだった様です。すごいですね。お酒は結構凝った包装に加えてラベルを工夫して「あっ」と驚く(?)形になっています。

(左)山頭火 純米原酒(右)主要銘柄の蝉、女性に人気の蛍丸

町にも見どころが!

町にはいろんなところに「大造り物」と言われる藁や木の実などで作った大きな像が飾ってあります。これが近くで見ると”かなり”リアルで驚きます。これは「八朔祭」という八朔の日(旧暦八月一日)に豊年祈願と商売繁盛を願うお祭りで使われるものだそうです。私は8体見ましたがどれも凄かったですよ。どうすればこんな風に作れるのか想像もできません。
また、近くには国の重要文化財でもある「通潤橋」という水路があります。嘉永7年(1854年)に架けられた単一アーチ式水路石橋と言われるものらしいです。私の印象は「ローマの水道橋みたい」というものでした。今は地震で受けた影響の修復作業中ですが放水も行われることがあり、山間の非常に美しい景色と一体化した橋でした。橋のたもとも水田です(すぐ近くに道の駅もありますが)。通潤酒造からは歩いて15分ほどの距離にあり、町のシンボルかつ蔵のシンボルなのかなと感じました。蔵とともにまた訪れてみたい場所になりました。

大造り物(上)鷲と鯉(下)歌舞伎役者アップ ※現物は高さ3~4m位あります

(追伸)
昨今の大寒波もあり、今は雪深い中での酒造りになっている様です。九州とは言え山岳地帯は例年雪が多いそうです。私がお伺いした12月中旬も朝はとても寒かったです。